飛騨に来て18年。2月にこんなに雪が少ないのは、初めての経験。
一見すると、雪だらけに見えますが、除雪された日当たりの良い道路にはこのとおり雪がありません。
自宅から工房までの道路はすべてこんな感じなので、ここしばらく4WDは利用していません。でも、すべての道路が毎回除雪されているわけではないので、少し細い道路はこんな感じ。
散歩の連れは雪が好きなこともあり、車がほとんど通らない雪道ばかりを歩いています。まとまった雪が全然降らないので除雪に時間をとられることもなく、平日は30分、週末は1時間ほど歩くことに。連れの教育のため、散歩の時間とコースは毎日変えているのですが、おかげで知らなかった道を様々な時間帯に歩くことにより、日々新しい発見があります。
見知らぬ人と挨拶を交わし、家々を眺めながら工房の近所を少しずつ探索中。住まいと工房は別地域なので、工房周辺については何も知らなかったことを改めて知らされます。間違えて人の庭先に侵入してしまったりして慌てたこともありますが、それも何だか楽しい。
歩き回って知ったのは、山筋の民家はかなりの確率で沢水を引いていること。
水が身近にある暮らしはいいなあと改めて感じます。
家々の表札を見ながらふと考えたのは、自分の名前のこと。実は、名前で少し苦労してきていて、なんで素直な名前にしてくれなかったのか親を恨めしく思ったこともありました。しかし、最近は考え方が変わってきて、逆に感謝しています。
私の名前は「泰之」。10人いたら10人が「やすゆき」と読みます。これ当然で、本来こう読むのが自然だからです。ところが、親はこれを「よしゆき」としました。親戚に東大に入った子がいて(名前に、よし が付いていた)、それにあやかったんだと嘘のような話を聞いた覚えがありますが、今となっては確かめようもありません。
中学の国語の教師に、「これは決して「よしゆき」とは読まない」と授業中に断言され複雑な気分を味わった経験をはじめ、名前に関してはあまりいい思い出がありません。最初の頃こそ、間違って呼ばれれば「よしゆき」と訂正していましたが、いつからかそれもしなくなりました。ここまで呼ばれ続けると「やすゆき」にも親しみが湧き、だいぶ前からはどちらも私の名前にしようと決めたのです。
そう決めると、実に便利な名前です。私に近い人々を認識するための一つの目安にもなりますし、嫌な電話勧誘などで「まきのやすゆきさんはお見えですか?」とくれば、「そんな人はうちにはいません」とすぐに切ることもできます。そして、何よりこのネット社会になった現代において、実に安全な名前だと気付きました。「牧野泰之」という名前は他にも存在しますが、これを「まきのよしゆき」と読ませる人はまずいません。私という存在があって、はじめてこの2 つが結びつくのであって、私を離れればこの2つを結びつけることはできないからです。個人情報の管理が大きな問題になっていますが、私の場合は公的なもの以外では、あえて「やすゆき」を使うこともあります。これを知って何ていい加減な!と怒る方もいるかもしれませんが、これも一つの立派な自衛手段だと思っています。苦労してきた名前ですが、こんな利点に気付けて本当に良かった。親に感謝です。
ちなみに、私の息子たちの命名時期にはこの利点に気づいていなかったので、素直な名前にしました。まあこれから命名することがあっても、やはり素直な名前にするでしょうね。変な苦労はさせたくないですから。