見えないものが、見えているものの価値を高めている。

 

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ご提案のために描いたソファー。あえて、非対称にした形状は緩やかな曲線の集合体。さて、こういうものはどう作るのか。

ソファーとして多く目にするふかふかしたクッション主体のものは、中身はほとんどが合板による骨組みでできています。その上に、ウレタンと呼ばれるクッション材を固定してゆき、布や革をかぶせて形が作られています。

ところがスケッチしたようなソファーは、無垢材を組み合わせた骨組みで形を出してあげなければ実現できない形状です。もちろん最近では木以外の素材によるものも多く存在しますが、木を扱う私としては木材でこの形状を出すことを考えます。

スケッチから木構造(骨組み)をイメージします。どんなものでもパーツの集合体であることに変わりなく、私たちはこれを様々なパーツに頭の中で分解してゆきます。張り地に隠れてしまっている部分は、どんなにツギハギだらけでも強度さえあれば問題ありません。この部分はこの形を出すことだけに注力し、見た目は度外視(とはいえ、それができないのが・・)。あとは使用する木材の厚みを考慮して、継いでゆく部分を検討します。見えている部分との境をどう加工するかなど、この段階で張りに関する知識も必要となってきます。

ちなみに、一番厄介なのは、背と肘の接合部。きちんと縫製された背と肘が一体となった生地をかぶせて手縫いで仕上げる方法もありますが、多くは背と肘を別々に張ってゆきます。布(または革)を張るには引っ張る必要があるのですが、この異方向に引っ張る必要のある箇所が重なるこの部分の構造が一つの肝となります。今までの経験で幾通りかの方法が存在しますが、そのどれを使うかを決めるのは実は張り屋さんなのです。それぞれ得手、不得手な方法が存在し、この木部では張れないと返却されたことも何度か経験しています。ゆえに、木部の詳細は張り屋さんと相談しながらの作業となります。(少し専門的になり過ぎました)

 


 

美しい曲線を描く部材。それが美しいと感じるのは、削ぎ落とされて無くなった部分があるからこそなのではないかと、ふと考えるのです。見えない中身、ある形をつくり出すために削ぎ落とされた部分。それこそが、見えている部分の価値を高めているのではと。そのため、見えない部分に気を遣いすぎ必要以上に美しさを求めがちになります。完成すれば見えなくなるとわかっていても、その時点での外見の美を無視できず、作り手目線での美しさをつい追い求めてしまいます。いつもこのバランスに悩みます。

家具の話の筈でしたが、このようなことは様々なことに当てはまるようで、いろいろ考え出すと哲学者にでもなった気分。窓の外では粉雪が舞い薪ストーブの炎を肌に感じながらWilliam Ackermanのギターを静かに聴く。こんな環境がそうさせるのかもしれません。

見えないものを、もっと大事にしたいと感じました。

 

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カテゴリー: life

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