日常に溢れている数学。あの微分積分でさえ、普段の生活に存在している。でも、数学では捉えきれない世界が確かに存在する。

 

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立春を過ぎてから、晴れた日の日差しに力強さを感じる。雪の山に灰を蒔いて、少しでも早く溶けるようにしている。ある日、ストーブの燃え方に不満を感じたので、90センチほど煙突を伸ばしてみた。思ったとおり、燃焼具合が格段にアップした。

ストーブの性能を引き出す要素の一つに、煙突の存在がある。煙突の長さと燃え方に、明確な公式は存在しない。なぜなら、全ての場合において条件が異なるからだ。外気温、室温、湿度、風速、薪の乾燥具合、煙突がシングルかダブルかによっても異なる。ある時点においてのベストな長さであれば、導き出すことはできるだろうが、それはあくまでも計測したある時点でのみという条件つき。この限られた範囲だけの動きを詳細に見ることを、数学においては微分という。ペアの積分とは、一部から全体を理解しようとすること。なので、我々の生活には微分積分が溢れている。

目的地に向かう際に、現在地を把握して(微分)到着時間をはっきりできる(積分)のも、実は微分積分の要素を含んでいる。また、年に一度の健康診断も、まさに微分積分の一例だといえる。その日の体機能を一つ一つ調べて(微分)、その結果から健康状態を理解しようとする(積分)。統計学なども織り混ぜながらとなるので、かなり数学に満ち満ちていることになる。(不思議なことに、こんな話をしてくれた数学教師はいなかった・・)

しかし、健康診断の微分には、ずっと疑問を感じている。それはこんな理由だ。

たまに口内炎ができる。でも、自然に治ってゆくものだと認識しているからか、よほどの事がないかぎり治療などしたこともない。放っておくだけで、気がつけばなくなっている。見えない体の内部にも、実はこんなことが繰り返されているのではないかと想像する。それをレントゲンやカメラで詳細に調べ、おかしなところがあったと治療をする。当然、見えない手の届かない部位なので、そこへの直接治療は望めない。よって、他の部位にも少なからず影響を与えながら治療をすることになる(検査も負荷になっている可能性もある)。もしかしたら、口内炎のように自然に治癒するものかもしれないのにである。そんな行為に少し疑問を感じて、敬遠しているのだ。

とはいえ、医学の名のもとに積み上げられてきたものには敬意も感じているし、蔑ろにできないと考える自分もいる。そのため体の状態には気を配り、何か異常を感じたらすぐに病院で診てもらうことにしている。これがベストかどうかはわからないが、自ら判断を下した結果である。おそらく、今年も家族には受診を勧められるが、のらりくらりとかわすことになるだろう。

さしもの数学も、僕たちの体をはじめとした自然が相手となると、条件が非常に膨大で常に流動的であるため正確性に欠くようだ。おそらく癌の根治や長期の天気予報など、今後も難しいのではないかと思っている。

実は家具づくりにおいても、似たようなことが言える。水分を吸ったり吐いたりしている木材(無垢材)は常に変化している。長い間、同じ環境下に置かれれば少しずつ安定してゆくが、それでも環境が急激に変われば劇的な変化を起こしうる。下手なことをすれば動きを止められないことも。動いた理由は後から説明できるが、どう動くかを完全に予想することは難しい。動くことを前提に考えておいても予想を超えた動きをすることがあり、そこが木を扱う難しさでもあり面白さでもある。そこには経験則に基づく、数学では捉えきれない世界が存在している。頭で考えられることには限界があり、それを補うのは手を動かし観察すること以外にない。その積み重ねこそが、新たな創造を生むのだと信じている。

” Think less, move own hands and observe more ”

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